書架沈没船36525

100年あれば物語が36525ぐらい意識下に溜まるような気がする。その書架の引き出し。

月に囚われた男

<Moon>

2009年公開 イギリス

 

たった一人の人間であると気づいてしまった孤独と恐怖を考えたい時にこのタイトルが飛び込んで来たので見ました。(そんな気分のときもありますよね)(※予期したものとは少し違いましたが)

デヴィッド・ボウイの息子 初監督」というアオリがついていたので常の如く「〜〜の息子/娘、というアオリは当人にとっては嬉しく無いのでは?」と躊躇ってしまいましたが、なるほどこれに限っては『地球に落ちて来た男』(1976年版)を想起させられてしまうので許容します。
原題の『Moon』に対し邦題が『月に囚われた男』とされているのは、ほぼ間違いなくデヴィッド・ボウイ主演の『地球に落ちて来た男』を踏まえているのでしょう。含意があって邦題の方が素敵。それにしても”〜〜の息子”というアオリは嫌だなあ。

 

視聴後の感覚としては、わりと救いがある終わらせ方でした。

 

2007年公開の『アイ・アム・レジェンド』のごとく、応えが無い通信を送り続けてマネキン相手に挨拶して、耐えきれなくなったら「Say hello to me!!」と怒り狂うような図を考えていましたが、狂うより前に話し相手ができて良かった。(※ただし相手は自分)

 

2009年の映画でも宇宙空間というのはどうしても作り物めいてしまうな、と感じながら見ていましたが、なるほど低予算だったのですね。それでも500万ドル掛かっているわけですけれども。

私はSFを好みますが、それは宇宙という新しい舞台と未知のギミックに囲まれた人間が面白いわけです。ですので今作のような、人間が自分である事を疑わざるを得ない状況というのは好きです。

最初の方はわりとなんとなく見ているような映画でしたが、最後の五分は何を残しておくのか、サムの行動にドキドキしながら観ました。

 

 

---------以下 内容感想-------------

 

 

クローン人間やそれに類似する人間に対する規範をそろそろ人類は整備するべきでは無いか……?

 

作中でクローン人間が禁止されているのか、それとも禁止ではないがルナ社がこっそりクローン人権に配慮しない労働のさせ方をしていたのか定かではありません。物語の本質には必要ないのでクローンの扱いについては言及されません。
しかし現実(※2024年時点)も人間のクローンを作成するだけの技術に達していると思われ、あるいは到達しようと思えばできる地点にあるのではないかと考えますので、新規の技術に対応する法体系が必要になって来ているのではないでしょうか。
2009年時点でさえクローンは目新しい話題ではなくなっていたと思います。
クローンを動物にのみ留めるのか、再生医療として〝人間未満〟までは許すのか?
再生医療分野については議論が報道されていた時期もあったような?)

人間類似AIについてはまた別の規範の組み立てが必要かと思いますが……。現在の技術内で生成される感情想起型のロボットについて、うまく適合するようなロボット三原則のようなものも必要になるでしょう。

AIについてはプログラムとそれを使用する人間の問題なので、まあ上手くまわるシステムがあれば問題ないでしょう。ただ〝クローン人間〟となると、〝人間〟とは? という定義を議論して人類の間で最大公約数を発見する必要があるので時間が必要となるのでは?

とかく、技術が革新される前に規範を持っておかないと。現在、生成AIについて混乱しているのは事前の規範整備ができなかった所為では……

 

……などとついつい考えました。
日本を含む国々で、クローン人間についてはやはり倫理の点から禁止に類いする措置をされているようです。技術的に可能なものについては規範を作るべきではないかと思いますが、禁止されているものについての規範を作る、というのはどうにもモチベーションが上がらない事は分かります。

 

少し話題を転換して感情を持つロボットについて。
これは”感情を持つもの”がロボットか人間か、どんな肉体を持つかで分けることができるのだろうけれど、この〝プログラミング上の反応がより人間らしく見える〟ロボットと、〝感情を持つプログラム〟の違いを分けられるか? その問いに答えを出せる日が来るのか?

というのはいつも疑問であります。

ジェミノイドにしろ死後の復元ロボットにしろ、それら(彼/彼女ら)が〝プログラミングにより感情らしく見える反応を出力する〟ようにできたとき、彼ら/彼女らが「私を消さないでください」と言ったときに、それら(彼/彼女ら)を壊さなければならないときどうするか? 答えは永遠にでないのではないか。

私がこの『月に囚われた男』でガーティに対し、「感情をまねたプログラミングの出力」なのか「プログラムにより生成された感情」なのか判断しあぐねている所でもあります。

ガーティがたまにはぐらかす回答をよこすので、会話のビッグデータを学習したAIを想起します。現在でもこのぐらいの擬似感情結果ぐらいは出力できそう。

 

ガーティの単純な顔文字による表情は、受ける側の人間がその単純さの奥にものを見るため、より人間らしいマスクで表情を作るより感情があるように見えます。
上部レールにぶら下がる形のサポートロボットというアイディアも良いですね。ガーティは基地の外に行けないから知らない、行く必要が無いから知識をインプットされていない、という制限を付けられるし、人間用で段差のある床を歩き回るよりも、基地内という限定的な機能で十分なので専用レール上を動き回るのは、世界観としてもフィットします。

未来の労働現場のロボットととしても良い一つの例だし、本作の、人間外の感情について考えさせるアトラクタとしても魅力的です。

 

さて、〝クローンである出自を隠され、偽の記憶の植え付けられて労働に従事させられているサム〟について。

コピー元のサムが、元々月で働いていてクローンを残して月で死んだのか、それとも自分は地球に帰ったのか、あるいは月に行かずにクローンだけ月に送ったのか、気になる所ではありますが、本筋には関係ありません。

労働しているクローンに妻子の記憶を持たせるのは酷じゃないかと思いますが、クローンにクローンである事がバレる前提ではないからきっとそれで良いのでしょう。クローンの寿命である三年間全てを一体のクローンで賄うための記憶、ぐらいの意識だったのかもしれません。もしかしたら、クローンである事を知ったクローンも居て、処分してきた歴史も既にあるのかも。

それならいっそロボットにしてくれよ、と思いますが、生物の方が機械より安価で済むのかも知れません。ガーティが自由に”歩き回る”ロボットじゃないので、自律的機械より生体の方が安価である説は有り得ます。

 

 

物語の最後で、私たちが最初に出会った〝月で三年過ごしたサム〟は事故現場で眠りにつき、〝月に来て一週間という記憶のサム〟は地球に行き、〝新しく起こされたサム〟はガーティと月に囚われ続けることになります。

三番目のサムはまた繰り返すのか……不憫ではないか。二番目のサムはどうするのか? とハラハラしながら見守っていましたが、二番目サムが採掘機を動かして妨害塔を壊すことで状況を知らせてくれて、窮鼠のひと噛みをしてくれました。

 

三番目のサムが起きてガーティが(おそらく今までの手順通りに)話しかけているとき、ベビーツリーチャイムのオルゴールを思わせる曲が流れて、母親が起きたばかりの赤ちゃんに語りかけているようでした。
また何も知らないクローンによる無知の平穏の再生産かと諦め、平穏を見ようとした時に、採掘機で塔が破壊されて快哉を叫んだ私は、二番目サムがヘリウム輸送ポッドの中で叫んでいた理由が分かった気がします。

三番目サムはリセットされたガーティに見守られてまた三年を過ごすのでしょうか? それとも何かが進むでしょうか?

 

〝サム〟は地球で裁判に追われると思いますが、裁判の合間でも後でも、残された三年の間に一番目サムの望みを背負ってハワイやメキシコを旅していたらいいなと思います。

 

ガーティ

二番目サムが脱出する寸前、ガーティが〝メモリを調べられるとサムが危険だから、リセットしてくれ〟と言うのは、感情があるガーティにとっては自殺のようなものではないか。「君を守るのが僕の仕事だ」と言って、自分をリセットさせるガーティは感情があるようだ。

二番目サムが「俺たちはプログラムじゃない。人間なんだ」と言ったとき、その”We”にもガーティが含まれていたら良いなと思います。

(しかし、「君を守るのが僕の仕事」というプログラムにあくまで忠実に従った出力結果ではないか? とも思えます)

ガーティは性質上外に飛び出すことができないので、人間の体を持った”サム”だけが外に自由になるのは仕方がないです……。

 

 

 

細やかなこと

 

最初の方でガーティが「2週間だ」と言ったのは、〝このサム〟と残り2週間しか居られない、という感傷めいたものが芽生えていたのからでしょうか?

現在を移している筈のカメラの映像に過去の映像が紛れ込むのはなぜ?

 

ガーティが本部と通信している所を起きたばかりのサムに見られたときはどきどきした。まだガーティが信頼できるロボット(※誰にとって?)かどうかわからなかったので、いつ〝サム〟が殺されてしまうのかと緊張していました。

 

主人公が妻からの通信を見たあとに見えた、椅子に座っている女性は誰?
あの女性がサムの娘だとして、どうして”サム”が知らないはずの成長した姿が見えたのでしょうか。
あるいは、何も知らないし地球に行くこともできなかった”サム”のために映画制作者が入れ込んだ娘の幻覚だとしたら、それはメタだとしても、少し救いになるかな、と感じます。

 

起きたばかりのクローンがサングラスを欲しがったのは、まだ光になれていない、という事でしょうか?

 

「本部に報告していない」「僕が君を守るよ」と言ったガーティは、プログラムだけど明らかに〝このサム〟を守る意思がある。「君を守る」が第一の命令だとすると、企業の利益違反になることをしているロボットになってしまうけれど、プログラミング者はもしかしたらその事も考えていたのだろうか? 権利なきルナ産業のクローンに対しての同情か? それともただの設計ミスか?

 

 

何体ものクローンが眠っている場所では、ゆりかごの上で回るオルゴールの音のようなBGMが物悲しかったです。